アラサーADHD主婦の雑記

アラサー主婦。ADHD(ADD寄り)持ち。現在夫の転勤で東南アジア暮らし。日々の出来事、考え事などを綴ります。

気づいたらSNSに人生を奪われているという話。

最近の自分のスマホの使い方を見て驚愕している。

とにもかくにもスマホを眺めてる時間がめちゃくちゃ多いのだ。

 

以下は私の1週間のスマホ時間である。

月曜日 12時間58分

火曜日 12時間5分

水曜日 11時間14分

木曜日 10時間56分

金曜日 9時間44分

土曜日 9時間35分

日曜日(今日)4時間24分(午後16時時点)

 

ヤバイ。起きてる時間の8割はスマホを見ているのと同義である。

正直こんな生活をしていたらそりゃ何も身につかないのは当然である。

一番使っているのはぶっちぎりでツイッターだ。

その次はサファリで見る発言小町やガルちゃん、2ちゃんのまとめ。

 

正直これらを見ていても得られるものは何一つない。

世の中の流行にいくら詳しくなったところで投資成績に影響が出るわけでもないし、新しいスキルが身に付くわけでもないし、自分の年収が増えるわけでもない。

 

ADHD民はその性質から特にネットやSNSにハマりやすい。

Twitterの仕組みは特にすごい。ムラムラと「いいね」の通知が見たくなる、

魅力的なタイムライン、ローカルのニュースの数々が目に入る。

ある意味海外暮らしの今の私にとってローカルのニュースは生命線でもあるため、もう毎日ツイッターに費やす時間は仕方ないことなのかもしれない。

 

しかし私は今回ITの天才たちに勝負を挑むことにした。

そう、アプリの時間制限である。

iphoneにはアプリの利用時間を制限する機能がついているので、それらを利用して一日のネットの利用時間を減らす。

 

その代わりに語学学習、プログラミング学習に時間の利用を最大化する。

どうしてもTwitterが見たい時もあるだろうから利用制限は一日30分までにする。

しかし恐ろしいのは、Twitterを見ていると30分の体感は5分程度だ。

 

こんなに情報の洪水に流されていたらそりゃ人間の脳は疲弊するに決まっている。

腹一杯食べ物を詰め込んだら具合が悪くなるのと同じだ。

 

特にADHD民は頭の中がとっ散らかりやすい。

脳に適度な休息を与えることが重要になる。

人生を諦めるところから人生は始まるのかもしれないと言う話。

今だから笑って話せるが、私は子供の頃にアメリカの大富豪が住むようなドリームハウスに本気で「いつか住んでやる」と思うような子供だった。

 

一緒に見ていた母にも「いつかこんな家に住まわせてあげるからね」などと宣っていた。

 

デパートの高級ブランド店の前を通る時も、「いつかこんなバッグ買ってあげるからね」と。

 

31歳の今は、そういうものは「普通の労働者」には無縁の存在なのだと知った。

そう、高級住宅やブランドバッグは普通の労働者が買えるものではない。

バブル時代の日本では女子大生が1つや2つブランドバッグを持つのが当たり前だっただろうが、今の貧困大国ニッポンでは一部の恵まれた富裕層しか買えることはない。

 

それこそ「寝ていてもお金が増えている」「お金にお金を働かせている」資本家だからこそ高価な贅沢品をバンバン買えるのである。

 

決して庶民が涙ながらに生活を切り詰めたり、大学生やOLがパパ活(という名の売春)してまで手に入れるようなシロモノではないのである。

 

冒頭に戻ろう。そんな野心だけは一丁前の子供であった。だが一丁前なのはそれだけであった。

家で割と裕福な祖父母に育てられ(しかし一家の中で高学歴なのは田舎から一旗あげ理●大に入った祖父だけだったため正しい勉強法やお受験なんてものとは無縁だった)

甘やかされた私は、勉強を真剣にしたことなどなかった。

屈指の馬鹿中である家から徒歩3分の地元の中学に入った後、偶然英語を教えてくれた先生のおかげで英語に興味を持ち英語留学のある高校(偏差値低め)へと進学した。

大学生になり社会人になりADHDが発覚、自分のポンコツぶりと仕事の出来なさに驚愕した。新卒の就職活動ではコンサルだの外資だのに応募するも門前払い。マーチ以下の四大にしか入れなかった私には順当だった。

 

そしてある日、私は思う。

「これ、もしかして一生ブランドバッグを好き放題買うこともできないし、ドリームハウスにも住めなくね?」と。

 

我ながら、すんごい阿呆がいたもんだと思う。

でも読者も思い当たる節はないだろうか?若い頃は誰しもが皆、謎の万能感を持っている。

 

そのメッキが剥がれ、自分の能力の限界値が見えてきて初めて「自分の器の大きさ」「自分に求められているもの」がわかってくる。

具体的な人生の計画が見えてくるのだ。

 

私にとってはそう気づいた年齢が娘を妊娠した頃、28歳の時だった。

そして今子育てに毎日奮闘する中で、自分にできることはなんだろうと日々自問自答しているのである。

ある意味自分の本当の人生は今始まったのかもしれない。

ADHDが悩み事を整理するときは必ずカフェに行けと言う話。

最近Twitterでこんなツイートを見かけた。

 

「鬱になりやすい人とは、いつも自分のことばかり考えている人」

 

ふむ確かに、思い当たる内容だ。

私もどうしようもなく病んでいる時というのは大体自分のことを考えている。

他人の問題で死にそうになる程悩む人というのも少ないだろう。

 

でも自分のことで悩むなと言うのも無理な話だ。

だって自分の人生を生きるのは自分だけなんだから。

自分以外に誰がこんなに自分のことを考えてくれるというのか。

 

今回はそんな「自分のことで悩む時のお作法」を紹介したいと思う。

 

 

人が悩んでいるときというのは、心配事だけが頭の中を支配し、とめどないネット検索の海に溺れていくことが多い。

そして人が調べ物をするのは大体寝る前だ。夜はネガティブな気持ちになりやすいので余計に悩み事に拍車をかける。

 

「寝る前に・部屋で一人きりで・悩み事を考える」

これは最悪。

一番やっちゃダメなパターン。

 

じゃあどうすりゃいいんだい。ここで提案がある。

 

カフェに行くのだ。

 

時間帯は隙間時間ならなんでもいいがベストなのは午前中だ。

一日のうちで一番パフォーマンスが上がる時間帯だからだ。

実際極度の面倒くさがりの私も朝起きてすぐにブログを書くようにしている。そうするとよく考えなくてもスラスラ文章が浮かんでくるからだ。

 

「今日はこのことについて考えるぞ」と言う議題を見つけたら、ノートやパソコンを持って行きたいカフェに行く

スマホだけ持つのはあまりよくない。気が散ってゲームとかSNSを見ちゃうから)

 

手順はこうだ。

 

お気に入りのドリンクを頼んだらテーブルにノートかパソコンを広げ、今頭の中に浮かんでいる心配事や悩みを全て書き出す

書き出したらその悩みを解決するために「具体的に何ができるか」を考える。それを隣のページに書いていく。

 

これだけで大混乱だった頭の中はだいぶ整理される。

人は解決策や落とし所を見つけると安心するからだ。

私の場合、この「何ができるか」のページをスマホに撮っていつでも見れるようにしておいている。

 

実は、私はカフェが昔から大好きである。

一人で過ごす時間がないと生きていけないタイプの人間だ。

カフェで時々過ごすようになったのは、高校生になって自由に使えるお小遣いを手に入れた頃だったと思う。私は祖父母に育てられていたのだが、複雑な家庭環境だった。

だがお金だけはあったので、小遣いとして月に2万円もらっていた。

でも浪費家なせいでその小遣いを貯めるわけでもなくカフェなどの無駄遣いに注ぎ込んでいた。

そしてカフェでやることは大体決まっていた。「自分会議」だ。

 

参加者も議長も自分だけの甘美な時間。お気に入りのノートと音楽を持ってカフェの人気のない奥の方の席を陣取る(ノートを見られたくないから)。

そこに「今の悩み」「解決策」「欲しいもの」「やりたいことリスト」などを書いていく。

楽しい妄想も悩んでいることも全て書き出していくのだ。

思えばこの16歳の頃から、31歳の今でもやっていることは15年間変わっていない。

 

その間いろいろな悩みがあったと思う。今思うと結構な修羅場を乗り越えてきた。

でもいつも変わらず私に寄り添ってくれたのはカフェと一杯のカフェラテだった。

後はお気に入りのノート。

 

それで「本当に改善しているのか?」「結果は出ているのか?」は微妙だったが(後から結果を精査しなかったので)、

この頭の中のぐちゃぐちゃを丁寧に解きほぐしていく時間があったからこそギリギリ健全な精神を保って生きてこれたと思う。

コーヒーの香りに包まれながら自己を内省するその時間こそが、生きるための術だったと言っても過言ではない。

 

今頭の中がとっ散らかってもやもやしているADHDのみんな。ぜひ今すぐにでもお気に入りのカフェに足を運んで欲しい。

 

 

 

海外では、紙だけは死んでも持ち歩けという話。

みなさん、トイレ毎日行きますか?

行きますよね、当たり前です。

 

(今回は💩ネタだから覚悟のある人だけ読んでね!特に食事中の人は読むの厳禁だよ!)

 

 

私は今とある東南アジアの国に住んでいるのですが、日本では当たり前の

「トイレにはトイレットペーパーがある」というのは、

この国では当たり前ではありません。

 

もちろん置いてあるトイレもありますが、30−40パーセントのトイレは

平気な顔で「紙を置いていない」です。

 

私が住んでいる今のマンションも現地では高級(家賃18万。もちろん日本円でです)

なのに、共用のトイレ(正確に言うと1階のカフェに併設のトイレ)に紙がありません。

 

ペーパーホルダーすらなし。ゴミ箱は汚物で蓋が閉まらなくなっている。

 

こんなこと、ありえます?

日本ではありえないですよ。どんなに掃除が行き届いてなくても紙は置いてあります。

ないのは公園のトイレくらいでしょうか。

それ以外、例えばモールや高級マンションや飲食店の場合、仮に切れていても棚とか掃除棚を覗けば予備のロールが置いてあるでしょう。

こっちだとね、「ない」とこが多いんです。

切れてるとかじゃない、そもそも「置いてない」。

 

不運にも先ほど、その「置いてない」カフェでブログを書いてたらお腹が痛くなってきました。

 

たまらずそのカフェのトイレに行ったんです。利用するのは2回目だったかな。

前回は多分「小さい方」でした。だから紙がなくてもまあなんとかなった。

だからそのトイレに紙がないことを忘れてました。

 

今回は話が違います。「大」。

 

でも個室を開けると、紙がない!

カバンを開けてもティッシュとかない。。。

あるのは財布にしまってあるレシート2枚。

 

・・・

絶望の境地です。

 

(ここからは本当に覚悟して読んでください)

 

とりあえず💩が待ってくれそうな様子もなかったので、

この場で出すしかもう方法がなかったです。

やや緩め。最悪です。まだキレがよい方がマシだった。。。

 

こっちのトイレには便器の横に小型のシャワーのようなウォシュレットがついているのですが、誰が使ったかわからないようなそんな物でお尻を洗うのは変な菌をもらいそうでなんとなく嫌でした。

なので一度も使ったことがありません。

個室をちょっと開けて洗面台を見るとそこにはハンドソープ。

仕方ないのでレシート2枚を使って拭いた後、左の手のひらでお尻を何回か拭いました。(思い出すだけで最悪です)

 

そしてお尻丸出しで個室を出て、右手でハンドソープを出して念入りに手を洗いました。

(幸い洗面所は鍵がついていたので)

 

ああ、、最悪だ。

それでもお尻がまだ汚れているような気がしたので、

もう仕方ない。深呼吸したのちに、人生で初めてそのシャワーを2回ほどお尻に当ててみました。想像以上に勢いよく出る水。

さすがに驚いた。

こっちのトイレが高確率でビシャビシャになっている理由がわかりました。

紙があればそれも拭き取れるのに、ないからそのままにするしかない。

本当にね、悲しくなりました。

 

仕方ないので、最後にせめて便器の中はきれいにして出ようと思い、

ブラシで中を掃除してトイレを後にしました。

 

手もその後何回もハンドソープで洗いました。掌はカピカピです。

 

手のひらの💩は落ちたかもしれませんが、私の心は泣いていました。

 

素手で💩を拭かなきゃいけなくなることに比べたら、たいていの悩みなんて悩みのうちに入らないかもしれません。

 

みんなに告ぐ。

 

海外旅行でも住んでいてもなんでもいい、

海外では必ずポケットティッシュを一個持ち歩け。

 

これは人間の尊厳に関わる話だ。

 

お姉さんとの約束だぞ。

 

(これなんの話?)

SHEINの大罪

私は最近まで、SHEINの魅力にすっかり取り付かれていた。

でも初めての購入から2年半経ち、もう買うことはないだろうと思う

(よほど魅力的な製品が出るか、ブランドが方向性を一新するまでは)。

SHEINに対して見切りをつけたとでもいうべきか。

今回は何故そう思うようになったかの過程を書いていこうと思う。

 

1.SHEIN革命

SHEINを知らない人のためにまず説明したい。SHEIN(シーイン)は中国発祥のアパレルブランド(正確に言うとブランドでは無いのだが、それについては後述する)で、なんと昨年の売り上げはZARAを遥かに上回るという今や飛ぶ鳥を落とす勢いの企業だ。

一番の魅力はその商品点数にある。

なんと一日につき5千〜1万点の新商品が追加されるのである。

 

なぜそれだけの数の新商品を出せるのか(だがよく見ると全部が新しいわけではない。再出品される数も相当含まれている。それでも凄い)

なぜそんなことができてしまうのか、その仕組みはもう訳がわからないが、私のような刺激大好きなADHD民にとってはまさに、スクロールする手が止められなくなってしまうほどなのだ。

実際一番ひどい時は、毎日追加される5千点の新商品を上から下までスクロールしていた。

右手の親指が痛くなるくらいだ。

 

またSHEINのアプリには画像検索機能がある。

例えば自分の好きなブランド商品の画像をアップロードすれば、それに似たデザイン(SHEINはハイブランドなどの人気商品のアイテムをパクリまくることでも有名)の商品を探してくれる。

自分が憧れているハイブランドのバックや靴や洋服のDUPE(贋物) を100分の1の価格で手に入れられるのだ。

クオリティは別として、手が届かないブランドへの所有欲を満たすのには手っ取り早い。

 

この4-5年で爆発的な流行が起きたSHEINだが、驚くべきはなんと日本人の間でも、ここ1-2年で物凄い勢いで流行り始めている。

私が買い始めた二年半前はトップセラーの商品でさえ日本人のレビューはほとんど見かけなかったが、最近はまだほとんどレビューがない新商品にもついていたりする。

 

日本の若者はこの「失われた30年」で相当に可処分所得が減り、洋服にかけるお金が本当に少なくなった。10代や20代のお金がない若者はもちろん、最近では30代から50代のミドル層まで「SHEINで買える高見えアイテム」なんてYouTube動画を出している。

 

2.出会い

私がSHEINに出会ったのは今から2年半前、まだ妊婦だった頃だ。

海外で妊婦になって困ることはオシャレな妊婦服を見つけずらいということだった。

ZARA、MANGO、H&Mなどの支店はあったが、ゆったり着られる妊婦向けの服を探し当てるだけで疲れてしまうし、毎回店舗に足を運ぶのは面倒、なにより好みのデザインがなかった。

そこでSHEINの存在を偶然知った。SHEINのアプリはUIも見やすく画期的でワクワクさせてくれる。そしてレディース、メンズ、下着、キッズ、マタニティ、ペット服、雑貨まで、実に様々なジャンルを取り揃えている。

マタニティ服の取り揃えの良さ、デザインの多さ、可愛さには驚いた。

それも毎日数千点も新商品を提供できるシステムならではである。

 

3.初めての商品

届いたのは、お腹周りがゆったりしたシフォン素材の花柄ワンピース3着、綿素材の伸びて体にフィットするタイプのワンピース2着だ。どれも商品画像を見るととても可愛らしかった。

そして到着した商品を見て驚いた。

何に驚いたか・・・

服としての最低限の機能が無いのだ。

 

まず裏地は無い。だからペラペラで、目の前にかざしたら向こうの風景が見える。

縫製も素人目に見ても斜めになっていたり糸が所々飛び出ている。シルエットも着てみるとなんでこうなるの?と言った感じ。

「こんな服を売っていいのか?」と思うような、服への最低限の責任も無いといったような仕上がり(念押しするが、あくまでも個人的な意見であるのであしからず)。

あとで調べて納得したが、SHEINはかなり粗悪な環境の工場で従業員を働かせてもいるようだ。

さもありなん、と言ったところか。

 

そしてそのうちのワンピースの一つは、なんと1度洗っただけでお尻の部分の布が擦り切れて穴が開いてしまった。特に激しい運動などはしていない。普通に着ただけ。

なので服の素材そのものが思いっきりもろくて薄いとしか考えられない。いくら安いとはいえ、こんなものが堂々と12-14ドル位で売られているんだからびっくりである。

 

おそらく、SHEINのスタンスを文章にするとこうだ。

「魅力的な商品写真さえあれば」後は消費者が勝手に注文してくれる。

もしレビューが悪い商品があれば、商品一覧から削除してしまえばいい。

実際そんな感じの商法である。商品が毎日数千個投入されては、いつの間にか消えていく。

 

消費者としても「こんなに商品がたくさんあるのだから次は良いものが届くかもしれない」「もしかしたらまぐれですごくいい物を安く手に入れられるかもしれない」という心理が働く。

これはよくできたシステムだ。

 

4.疑問が確信に変わる時

 

その後も何度も注文してみたが、やっぱり駄目だった。

アクセサリーは水や汗にひとたび触れてしまえば、塗装がすぐ剥がれてサビサビになってしまう。数十円で買えたりする商品は仕方ないが、MOTFと言う、金メッキを施しているとうたう高級ラインのアクセサリー(1000-2000円)も数回水に濡らしたらすぐにメッキが剥がれた。

靴はペラペラでそもそもの形を保っていなかったり、靴底のゴムがすぐボロボロになったりする。外で履くには恥ずかしいほどのレベルだ。

バッグ類も基本的にチープな見た目が多いが、かわいいデザインのものもある。

かなり気に入ったデザインのバックがあてよく使っていたが、半年たたずに金具が壊れてしまった。気に入っていたので買い直したけれど、しばらくするとやっぱり金具が壊れたり取手の縫製が取れてしまったりした。

やっぱりこの場合も洋服と同じように、「鞄としての最低限の耐久性」がない。

1年も使えないのだから。

とうとうSHEINで買い直すことは諦め、他の通販サイトで似たデザインのものを買ったのだが、そっちの方がよほどしっかりしていたし値段も1.5倍ぐらいしか変わらなかった。

 

こうなるとSHEINで買うメリットが見当たらない。

 

私が勝手に考えるSHEINの仕組みはこうだ。

すでにアリエクなどの安い海外通販で売っている物を担当者が見つけ(もしくは持ち込まれるかなんかして)、そのまま売るか、タグだけSHEINに付け替えて売る。

自分たちでデザインする完全オリジナルの商品もあるが、全体の1割くらい。

ほとんどの商品はラベルを張り替えて終了だ。

だからそこに細かな検査などは設けてないように思えるし、品質基準なども無いか、あっても著しく低い。

なぜこんなに耐久性がないのか?(GUの方がよっぽどしっかりしている)と不思議になる位耐久性がないので、まぐれがない限りSHEINで長持ちするものなんて売ってないと言うことになる。

でも多くの消費者にとっては「長持ち」は重要でないのだ。

現にこんなに売れてしまっているのだから。

 

お金は無いけど最新のデザインの物が欲しい。手軽に流行を追いたい。一瞬の目先の欲だけを満たしたい、という消費者心理をうまく付いたのだ。

 

壊れてもまた新しく安いものを買えばいいのだから。

 

 

5.大量生産大量消費の行方

 

正直なところ、いち消費者から見たSHEINはとっても魅力的である。

前述したように、そんなにお金がなくても最新トレンドを追うことができるし、毎日追加される山のような新商品を見ると心が躍る。

 

しかし一番重大な問題は、壊れたり飽きられたり

廃棄された大量の服やアクセサリーはどこに消えるのかと言うことだ。

 

もともと質が良くないのだから当然リサイクル市場には出回ってこない。

壊れていたら人に譲ることもできない。

廃棄場で大量に燃やされ、大量のガスや得体の知れない気体を発しているかもしれない。

処理されているならまだ良いが、後進国では洋服のゴミ山がそこらじゅうにできていて、そこでゴミを拾って暮らしている人もいるかもしれない。

 

子供を持つ母として、きれいな地球を残したいと思うのは当然のことだ。

次世代に無責任な選択はなるべく減らしていくべきだと思う。

 

今の目標を7倍厳しくしないと地球温暖化は改善しないと言うニュースが最近出た。

子供が生まれてから、昔では考えなかったようなことをいろいろ考える。

環境問題は次の10年20年単位のビジネストレンドにおいて、避けて通れないものなんだと思う。

資本主義の世界でそんな甘っちょろいことを言っているなんてと笑われるかもしれないが、一人一人が意識を変えなければ、このまま地球環境の悪化を放置すれば、

そもそも人類がこの地球に住めなくなると言う最大級の問題に直面する。

そうしたらお洒落も承認欲求もへったくれもない。

 

NetflixのDon't look upも似たような内容の映画でとても面白いのでおすすめする。

この記事を読んでる皆。

ティッシュで鼻をかむが如く、使い捨ての服やアクセサリーを買うのはやめよう。

 

服を大事にする、そのためにいい物を長く使う。

そんなシンプルなことが明るい未来につながる気がするのだ。 

 

ロシアで起きていることについて思うこと

ロシアで徴兵令が出されて、成人男性(20-65歳)はいち早く飛行機での脱出が禁止されてしまったようだ。

森翔吾 - YouTubeという、ロシア人の奥さんと結婚されご家族とロシアに住んでいる方の動画をたまに見ていたが(可愛いお子さんたちや自然の風景にとても癒されるのでおすすめ)

徴兵令が出てから更新が止まっているのが心配だ。

 

今は対岸の火事ウクライナーロシア戦争だけど令和の時代になってから世界中なんだかおかしなことになってしまってるように感じる。

私自身平成初期に生まれ「不景気だけどなんだかんだ日本って平和でいい国だよね。きちんと勉強していい大学入っていい人と結婚しておけばもう安心よ」みたいなことを親とか親戚に言われ続けて育った。

 

ところがどっこい、今の世の中はどうだ。

とてもそんなこと言ってられない。

 

正直今の台湾と中国の緊張状態を見てもいつ日本がどうなるかなんて誰にもわからない。

それだけじゃない、日本は昔から地震や災害も多い。いろんな面から見た時に日本ほどリスキーな国もなかなかないのだ。だから日本国民は創意工夫が世界一得意な民族になったと言ういい面もあるけれど。

(東南アジアで暮らしてみると日本ほど特殊な国はなかなかないと言うことに気づく。海外暮らしで気づいたことについてはまた別の機会に書こうと思う)

 

こんな乱世の時代に生きる私たちにとって1番重要なのは、「世界中どこでもやっていける」そのための収入の柱を何本も持っておくことだと思う。

 

日本で住むことでしか収入を得られないなら日本以外の国には行けない。たとえ戦争や災害で壊滅的状況になったとしても出られないのだ。でも海外でも食べていけるようなスキルがあれば、たとえ何が起きたとしても国から国を移動すればいい。

幸い日本のパスポートは世界一だ。これを利用しないで眠らせておくのはもったいない。

自分が今いる国では、ローカルの人々は短期旅行や観光で日本に渡るためにビザを取る必要がある。それも書類をたくさん用意し、複雑な手続きをこなさなくては行けない。

日本での身元引上人も必要だ(ただの観光なのに!)。

普通の日本人がパスポートさえあればいろんな国に行けると言うのは恵まれている。

これからの日本人はもっとどんどん世界を海の外にも広げるべきだと思う。

 

この年齢(30歳)まで特にスキルもなく過ごしてきてしまったわけだけど、あと3年以内にはPCだけで稼げるような収入の柱を自分でも何本も持っておきたい。

そのために今年も残り半分を過ぎたけどやれることはやるつもりである。

 

Apple Watch+Streaks(習慣化アプリ)が最強という話

一年ほど前に夫とApple Watchを買ってお揃いで付けていたのだが、正直活用しきれていなかった。

Apple Watchには様々な機能が付いていて、心拍や血中酸素濃度を勝手に測ってくれて健康チェックしてくれたり、電話が転送されてきてフリーハンドで通話することができたり、メールやLINEも見れたりする。

まぁ便利なのだが、私は真の意味でApple Watchを活用できていなかった。

そう、このアプリを使うまでは。

 

Streaksだ。

 

Streaksは自分が習慣化したいことを達成するためのアプリ。

有料アプリだけど買い切り型なので、一回買って仕舞えば永遠に使える。

使い方は至ってシンプル。習慣化したい物事を入力すると画面にアイコンが生成され、完了したらタップするというもの。ただこれだけ。華美な装飾もアクションもなく、特にサプライズは無い。

だがこのアプリとApple Watchを掛け合わせた時、そこに絶大な力が生まれる。

ADHDが習慣化アプリを使っても陥る罠にありがちなのは、そもそもアプリの存在を忘れることだ。毎日アプリを開いてチェックすること自体がADHDには難しい。

何故なら目の前にないもの=ない、と一緒だから。

 

そこでApple Watchの出番。Watchの待ち受け画面の設定にはコンプリケーション(アプリの呼び出し機能みたいなものである)が付いているが、そこにStreaksを連動させると、時計を見るたびに今日どのくらいの目標を達成したかが一瞬でわかる。

ADHDは常に頭の中が24時間一人ライブフェス状態なので、目標設定しても本当に続かない。

でも時計に目をやるといつでもわかるようになることで、とっ散らかった頭を本来のスタート位置に引き戻してくれる。

 

実際、私はこのアプリを使うようになってから今まで一回も!続いたことのなかった語学学習がなんと34日連続で続いている。Duolingoと言う語学学習アプリなのだが、このアプリも素晴らしいのでまた後日書くことにする。

 

まとめ

Apple WatchADHDにとって現代文明の最大の恩恵

・Streaksを使えば三日坊主を卒業できる